月曜日, 7月 16, 2012

分析よりも実行を

私は「なぜ日本では何々が作れなかったか」という問いが嫌いだ。

新聞やネットの記事を見ていると「なぜ日本では何々が作れなかったか」系の記事を見かけることがある。この手の記事を見ると自然とむかむかしてくるのでなぜそう思うのかを考えてみることにする。


  1. 世界中で誰か一人しか実現していないことに対して必ず当てはまるのでそもそも問いに意味が無い。
  2. 日本にしか無いものもたくさんあるのに日本人が最初の場合には同じ問いを立てない。またはガラパゴスと呼ぶ。
  3. 記事を書いた人は"作れなかった人々"の一部どころかその最たる存在に見えるのにまるで外にいる発言のように読める。
  4. 新しい物を生み出すタイプの人物はそもそもこのような考え方をしない。よって記事に影響を受けない。

他にもあるような気がするが、とりあえず思いつくところはこんなところかな。
要は自己批判好きな日本人らしいマイナスの発想であり、したり顔でその手の原因分析してるような連中には一生何かを生み出す事なんて無いということだ。


楽しいものは何かを考え、思いついたら始めればいい。
その始めやすさ、成功しやすさに国ごとの差があるかもしれないが、
どちらにしても成功者は一握りだし、結果を外部要因のせいにするべきではない。


金曜日, 7月 06, 2012

状況を打破するか、迂回するか

最近、友人との議論で同じ展開を見せたことが2度あった。

ある問題Aに対し友人は
「Aという問題があるからBという行動を取ろう」
と主張し、私は
「Aという問題があることが問題だからAを解決しよう(AをCにしよう)」
と主張する。

どちらも状況を改善し、より良い方向に向かうための策なのだが、
進み方が違うのだ。

どちらかというと障害物をどけないのだから迂回案の方が進みやすい。
しかし障害とはならないが障害物は以前として残り続け、回り道を続けていることになる。

逆に障害物を打破するにはそれを取り壊す必要がある。
労力はかかるが成功すれば得られるものも大きい。

この話の答えは障害物の大きさによって異なる。
結局取り除けない障害であれば取り除く作業は無駄になってしまうし、
取り除けたにも関わらず迂回を選択していたのであれば最善の結果は得られないのだから。

よって

まず障害物の大きさを論じ、取り除き方について議論する。
次に議論の結果を少し試してみて難しそうであれば別な案を検討する。

が回答となると思う。